門昌庵騒動記@

君側の奸


 延宝四年(一六七六年)、松前藩二代藩矩広は18歳の春を迎えた。
わずか七歳のときから藩主の地位に就いていた矩広の身辺には、幼君をおだてて藩政を自由にしてきた細界貞利、青田信顕、酒井好種、杉村治持など君側の奸が跋扈していた。彼らは独身の矩広に、一味の明石種直の娘で美貌の誉れ高い幾江を侍女として近侍させ、あわよくば正室にさせて、きらに藩政を自由にしようと企んだ。
 そんな好計があろうとは露知らぬ矩広は、彼らの勧めるままに幾江を寵愛し、やがては藩政もそっちのけに、昼も夜も幾江を身辺から離さぬようになってしまった。
 奸臣一味にとってはまさに思う壷だが、そのうち誰いうとなくこのことが江戸留守居役の藩老、松前泰広の耳にはいった。忠義者の泰広は、お家の一大事というので、幕府の老中に事情を訴えて早速矩広の奥方を捜しはじめた。その結果、京都の公琳唐橋侍従在常の妹で、雪の方という楚々たる佳人が選ばれた。
 この縁談は順調に進んで、雪の方は翌年の秋、矩広のもとへ輿入れしたが、この結婚はあまり仕合わせとはいえなかった。都育ちの雪の方には、北辺の見雪があまりにも厳しかったのであろう。一年たつかたたぬうちに、哀れにも雪の方は一九歳を一期に不帰の客となってしまった。
 矩広の落胆ぶりは傍目にも気の毒なほどであった。高貴でしかも可憐な雪の方を知ってからは、幾江のようなどことなくひと癖ありげな女には全く魅力を感じなくなっていたのである。矩広は快々として楽しまぬ日を遺ごしていたが、ある日気晴らしのため領内の浜辺を散策していた折り、ふと垣間見たひとりの女性に、矩広の胸が躍った。無心に琴を弾くその娘の清純な美しきは、どことなく雪の方に似ていた。
 矩広は帰城すると、直ちにその娘を城中に召し出すよう近侍に命じた。この娘は、丸山小町と謳われた美女で、藩士丸山清康の妹喬子であった。許嫁が刃傷事件を起こして出奔し、実際には破談になったにもかかわらず、いまだに操を守って再会の日を心待ちしている貞女だが、主君のお召しには抗し稚く、涙をのんで出仕した。矩広は喜び、名を松江と改めさせて寵愛した。幾江をはじめとする奸臣一味には、これが面白くない。何とかして松江を失脚させようと、次々に悪辣な手段を弄して讒訴したが、そのつど矩広自身が松江を慰め、いたわるので、一味はますます口惜しがり、さらに一段と奸計を深めた。
 一方、松江の兄の清康は、人の噂から城中で妹か悪人たちにいじめられているのを知ると、矩広が厚く信頼する松前の名刹法憧寺の住職門昌柏厳和尚を訪ね、殿様への諌言を懇願した。もとより柏巌は高徳の名僧なので、奸臣どもの跋扈を察知しており、その後、矩広が法憧寺を訪れたとき、それとなく忠告すると、矩広も深くうなずいて帰城した。